もしあなたが、40代から新しい働き方に挑戦したいと思っているなら、このブログがヒントになるかもしれません。
はじめまして。当ブログを運営している【ちぃゆみ】と申します。
現在、准看護師として働きながら在宅ワークに挑戦している45歳のシングルマザーです。
このブログは、スクールでWebマーケティングを学んで成長していく過程を発信しています。
目標は1年後には本業を辞めて
在宅ワークで月30万円以上稼いで自由きままに生きること。
正社員で准看護師として働いていて、シフトも時間もバラバラな勤務をしていて在宅ワークは可能なのか?疑問に思う方も多いと思います。
このブログで成長していく過程をお見せすることで、みなさんの人生の参考になれると幸いです。
なぜ私が在宅ワークの道を選んだのか、Webマーケティングを学ぼうと思ったのか、経緯やきっかけとなる自己紹介させていただきます。
基本情報
名 前:ちぃゆみ
職 業:准看護師
居住地:岐阜
家 族:両親、子供1人
血液型:A型
MBTI :ISTP(巨匠)→ISFP(冒険家)
趣 味:推し活(SixTONES・TXT)・SNS見ること・マンガ・ゲーム(ポケモン関係)・カフェ巡り
小学校時代:のめり込むタイプ

当時、家にファミコンがあり、某クエスト3に夢中でした。
多分やり過ぎていたんでしょうね、親に何回も怒られ
ついにはファミコンを隠されるというところまでいきました。
みなさんもそうかと思いますが、子供って諦めないんですよね。
隠し場所を見つけてはこっそりやっていました。もちろんわからないように元に戻す(笑)
集中してずっとやっていたり、モニターとの距離も近かったこともあり
どんどん視力が悪くなっていったので、のちに後悔しました。
好きなことにはとことん集中する
諦めない
今振り返ると、小学生のころから好きなことにはまっすぐな性格だったと思います。
中学校:普通の子

特に頭も良いわけではなく、普通の子でした。
中学に入ると内申のことを気にするようになります。
前に出るタイプではなく、授業の発表も手を挙げるのが恥ずかしいタイプの私も例外ではありませんでした。
今思うと、頭良いわけじゃなかったので内申点そこまで関係なかったように思いますが
少しでも点を取らないいけないと思った私は、班長に立候補しました。
クラスが当時36人くらいだったので各班6人ずつに分かれていました。
班長といってもノートを集めたりとか、意見をまとめるとか、特別大きい役目はなかったかと思います。
中学二年生の時には、応援団へも立候補しました。
といっても、前に出て応援する団員ではなく、応援団の歌を考えたり、ポンポンを作成したり、運動会の時に整列係したりする裏から支える応援団です。
これも覚えてないですが、内申点を気にしたのと大きいことをしてみたい
という認められたい願望があったように今は思えます。
それでも、自分に役割がある・責任がある・頼りにされるということが良い体験になったと思います。
特に頭も良いわけではなく、普通の子でした。
と書きましたが、すみません・・・少し嘘つきました。特技が1つありました。
足が速かったんです。
学生の頃は毎年必ずリレーの選手に選ばれていて、ほぼアンカーを任されていました。
唯一ここだけ調子に乗ってました(笑)
でも、どっちかというと引っ込み思案な性格なので、みんなに推薦されるまではおとなしくしていて、内面はすごく喜んでいるような子でした。(選ばれるの当たり前とも思ってましたね、生意気です)
みんなに頼りにされている実感、注目される喜び、勝った時の爽快感が忘れられません。
荷物が多い子
みなさんは荷物が多い人ですか?
学生時代何でも持っている人いましたよね、それが私です(笑)
机の横に袋がぶら下がっていて、そこにはハサミ・のり・コンパスや三角定規や分度器などたまに必要とされる道具が入っていました。
忘れるのが嫌ということもありましたが、クラスのみんなが【ちぃゆみ】なら持っていると認識して借りに来てくれることに喜びを感じていたと思います。
その体験からなのか、未だに荷物が多くて減らせません。
荷物が少ないとソワソワしちゃいます(笑)
目立ちたいけど目立ちたくない
頼られたい・認められたい
必要なものがすぐにないと不安
中学校~高校時代の勉強:調べる力

学力は本当に普通でした。
実際に普通に勉強していれば誰でも行けるような県立の普通高校へ入学しました。
みなさんは英語が得意ですか?私は苦手です。
私たちの時代は中学一年生から英語を学び始めました。
同級生の中には、く〇んや学〇や塾などに通っていて既に英語を習っている子もいましたが、私は初めてでした。
しかし、英語の担当の先生がクラスでなめられてたんですよね・・・ありがち。
先生は、ちょっと背が低くて小太りだったのが当時の同級生では気に食わなかったのでしょう。
みんな授業を真面目に聞いてませんでした。
私も波にのまれて授業をまともに聞いてなかったので、そこで英語の基礎がしっかりできませんでした。
This is a pen.←本当にこれくらいしか覚えてません(笑)
英語のテストは毎回ひどかったです。
しかし、中学三年生の時に状況が変わります。
教え方が良かったのか、中学三年生で受験を意識したからなのか、今思い出しても理由はわかりませんが、英語の授業にやる気が出ました。
授業も真面目に聞いて、単語の意味がわからなければ辞書で一つずつ調べて、ノートにたくさん例文や意味を書いていました。
今も英語は得意ではないし、話せるわけでもないですが、この時期に頑張ったことである程度の英語は読めるようになったので自分を褒めたいです。
これと似たような感じのことが高校でありました。
高校では古典の授業があったのですが、その古典の先生が厳しい先生だったのです。
宿題やってこないと怒る、授業でもどんどんあてて発表させるなど、女性の先生だったのですが、真面目でピシッとしている人でした。
教え方も良かったと思います。そして、私と相性も良かったと思います。
みんなは嫌がっていましたが、私は古典の授業が楽しくて仕方ありませんでした。
宿題もきちんと提出し、わからないことは辞書で調べる。授業も寝ることはありませんでした。
テストの点数も90点以上だった覚えがあります。
二年間はその先生だったのですが、三年生の時は別の先生になったのでその途端に成績が落ちて古典も面白くなくなったので、その先生のままだったら古典の道に進んでいたかもしれませんね。
楽しいと思ったことは突き進む
調べる能力を身につけた
頑張ったら成果がでる
短大時代:挫折

仲の良い友達が看護師になりたいと学校へ行ったり、やりたいことがあって専門学校や大学へ行く中、何もやりたいことがない私は、親の助言で栄養士を目指します。
楽に進学したかった私は調べて名古屋にある短期大学の推薦入試にたどり着きます。
栄養士をすごくやりたいと思っていたわけじゃないので、受かる理由をめちゃくちゃ考えて、当時祖母が病気で寝たきりだったので、祖母のためにも栄養学を学びたいと言った記憶が今でも鮮明です。
調理実習があったり、栄養の勉強は楽しかったです。
でも、短大を卒業して栄養士の資格は得られますが、栄養士の資格よりも管理栄養士の資格があった方が有利です。
これは看護師も同じですね。
准看護師よりも正看護師。都道府県知事の免許と厚生労働省の免許の違いです。
管理栄養士になるには当時は更に上の学校に行くか、栄養士として実務3年以上が必要でした。
上の学校に行きたい気持ちもありましたが、そこまでの熱量もなく、お金もないので行かず、ちょうど就活難の時代だったこともあり、就職活動に怖気づいてしまいます。
みなさん、栄養士ってどんなイメージですか?
私は病院や会社の栄養士のイメージしかなく、実習も会社の食堂でした。
会社の食堂は昼食しかありませんが、病院は朝食もあり朝が早いイメージでした。
私は朝が苦手で起きれない・・・起きたくないという思いもあり、就活したくないという思いもプラスされ、結局は就活しませんでした。
同級生で大手の食品メーカーに就職していた子もいるので、この時にもっと調べていてやる気があったら今頃は管理栄養士として働いていたかもしれませんね。
ここが初めての挫折だったのかもしれません
アルバイト~准看護師目指すまで

結婚式場のアルバイト、本屋のパート、親戚の会社で事務を経験していく中で、このまま低賃金で働いていくのか?何かもっと違う仕事してみたい、手に職をつけたいと思うようになりました。
そこで調べて、できそうな仕事、習えそうな仕事を検索して医療事務にたどり着きました。
仕事自体はやりがいがあり、とても楽しかったのですが、配属された部署のトップといつしか合わなくなります。
話してるとそっけない、冷たい、よそよそしいんですよね。さすがにこの関係が続くのもつらくて辞めたいと思うようになります。
後から考えたり、同僚との話から、その部署の看護師さんと仲良くしてたり気に入られたりしたのが気に食わなかったのでは?と思います。
部署変更や別の病院で働くという考えがなく辞めます。
そのあと一年はアパレルショップでバイトしていましたが、近くの病院が医療事務を募集していたため、面接を受けます。
結果は落選で、そこからどうしようと思っていた時に、ふと以前の医療事務で働いていた時の看護師さんのことを思い出します。
とても優しくて頼りになって楽しそうに仕事をしていたなぁと。
そういえば親友も看護師になっているし、手に職なら看護師を目指してみようかなと思うようになります。
思うと検索して猪突猛進する性格なので、気づいたら働きながら准看護師の資格をとれる病院を探していました。
もう頭では看護師になるという風に決意したところで、面接で落選していた病院からやっぱり働いてほしいと連絡があったのですが(落としたのに失礼すぎる気が)お断わりしました。
准看護師~今

家から近くに働きながら准看護師の学校に通える病院を見つけて、そこへ就職しました。
准看護師学校は二年間で勉強と実習をこなしていくのですが、朝に職場へ行って仕事をして、昼から学校で学んで、学校が終わったらまた職場に戻って仕事をするのは大変でした。
地域差や病院の差もありますが、実習担当の看護師さんが怖かったり態度が悪い人が多いので二度と実習はしたくないですね・・・。
そんな思いもあったり、お金の都合だった2~3年更にかかるということもあり、正看護師は諦めました。
准看護師になるために就職した病院は、働きながら資格を取るということで、授業費用などは病院から出すので、資格取ったら三年は働くという、御恩と奉公が決まっていました。
色んなことがありつつも、働きやすいのでそのまま10年近く現在も働いています。
しかし働いていく中で自分も年齢を重ねていき体力の限界も感じてきました。
最初のころは30代ということもあり、夜勤をしてもそのまま出かけたり、体も軽かったです。
40歳過ぎてからだんだん体のあちこちが痛くなり、肩こりや腰痛もひどくなり、夜勤で仮眠できないことが増え、シフトもバラバラなので朝起きるのもつらい、夜勤じゃないのに深夜まで寝れないことが増えてきました。
このまま60歳くらいまで働いていける?夜勤じゃない何か楽な仕事ない?
どんどん考えるようになりました。
准看護師であることと、個人病院で低賃金、こんなに頑張っててもミリしか増えない、努力しても報われていない気がする。
だからといって正看護師の資格を取るには最低二年かかる、資格を取ったとしても大きい病院に今から働くのは難しいし大変。どうすればいいの?
毎日のように悩んでいました。
オンラインスクール

楽に稼げることってないかな?あんまり働きたくない。
インスタで看護師の求人で勤務選べて~、職場環境良くて~、月30円万以上で~、というのを見ても、都会だけだしこんなの無理だしと思っていました。
ポイ活で自由気ままに暮らしている人を見れは憧れ真似しようとしてみるもポイ活にも最初はお金がいるし、田舎だしやり方もよくわからない。楽天ポイントのうまいポイ活の仕方があると知ってそこのメンバーになろうかどうしようかと思っていた時に、リモラボに出会います。
ここも怪しいスクールなんじゃないか?そんなうまく副業できるの?
最初はそう思っていました。なので、他にも何か良いところはないのか、リモラボとはどんな感じなのか、口コミなど調べました。
ふと、無料だからとりあえず話聞いて嫌だったら辞めればいいや、聞くだけは無料だし。
そう思って、無料セミナーに参加しました。
本当になめていました。
お世辞じゃなく、セミナーが良かったんです。
今は子供の学費返済でお金があんまりなく、払う気もなかったんですが、学ぶことにお金って必要じゃん!学びたい!って思わせてくれたんです。
なんとか払える金額はあった気がする(実際には少し足なかったw)と思ってすぐに入会手続きしていました。我ながら本当に猪突猛進(笑)
Webマーケティング

本業しながらオンラインスクールで学んで3ヶ月近くになったときに、私ってこのままでいいのか?と思うようになります。
このまま案件を少しずつ獲得していけば、ある程度収入を得られていつか本業を辞めることもできるとは思います。
しかし、学ぶことが好きで、インプットはいくらでもできる、だけどこれ身になっている?いつか上の立場やディレクションとかできるようになるの?
習ったことをそこまで理解して実行しているという実感がありませんでした。
言われたことは素直に行動しているけど、これでいいの?
できることなら上を目指したい!
欲も出てきていました。
そんな時に企画でWebマーケティングが良いというお話しがありました。
え!めちゃくちゃいい!これは私が今目指したいことかも!
直感でそう思いました。
すぐにWebマーケティングの動画を見るなど意欲的でした。
でも見るだけではそこまでよくわからず・・・。
そんな時にWebマーケティングコースを開催するという話があり、お金のことなど気にせず飛び込みました。
頑張って乗り越えたら自分も成長できる!本業辞めてやる!
そう思ったからです。
おわりに

私の目標は
月30万円以上稼いで1年後に本業を辞めることです。
本業をしながらWebマーケティングを学んで成長していく過程を、このブログでお見せできればと思っています。
目標を達成できるか、お付き合いいただけると嬉しいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。